ヨルダンとイラクに関わる話を3つほど、
続けて書きたいと思います
過去の内容については、コチラをご覧ください
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ヨルダン国内にかつて存在した、
ルウエイシッド難民キャンプ
JIM-NET代表の、鎌田實医師と、
JIM-NET構成団体の1つである、スマイルこどもクリニックとともに、
2007年6月、再びキャンプを訪問しました
→このあと、キャンプは閉鎖されます。
キャンプ内にはこのように、
国連が支給したテントが張りめぐらされていますが、
彼らが本当に必要としているのは、
第三国へ出国できる切符です
2006年、初めて私がこのキャンプを訪れたときに出会った、
ディアールという少女の家族
ディアールはもう亡くなってしまったけど、
私たちは、彼女の家族を再び訪問しました。
ディアールは、まだバクダッドにいるころ、
「非ホジキンリンパ腫」という悪性の病気を発症。
治療はしていたものの、
一家でキャンプに逃れてきたため治療は断念
病状が悪化し、国連がディアールをアンマン(ヨルダンの首都)市内の
公立病院に搬送
しかしそこでは、対症療法のみで、
(すなわち、薬の入っていない点滴と、酸素マスク)
付き添いの家族は1人のみ
→母親が付き添っていました。
そして隣のベッドでは、女性警官が四六時中監視
彼女が、
「もっと生きたい」
「だから、他の病院で診てもらいたい」
と望んでも、それは叶いませんでした。
何故なら、彼女は「難民」だから
そして、母親だけに看取られて、
14歳で亡くなったのです。
亡くなった後も、
埋葬されたのはヨルダンの共同墓地。
イラクには帰れませんでした
久しぶりに会ったディアール一家は、
私たちを歓迎してくれました
再会を懐かしんだあと、
スマイルクリニックのドクターたちは、
ディアールの弟くんを診察
鎌田先生は、ディアールのお母さんを診察。
お母さんはディアールが亡くなってから「うつ」になり、
たくさんの薬を飲んでいます。
「悲しくて、夜、眠れないんです」
無理に忘れようとしても辛いだけ。
急がなくていいから。
たくさん泣いていいから。
それしか言えませんでした。
「難民」というだけで、
犯罪者のように扱われ、充分な医療も受けられず、
見捨てられてしまう現実。
私は納得がいきませんでした
そして、ディアール一家は皮肉にも、
アメリカに移住することが決まり、
ディアールをヨルダンに残したまま、
アメリカに旅立ったのです