ガザの空爆停止に声をあげよう!!
まず、ナクバを知ることから①
まず、ナクバを知ることから②
まず、ナクバを知ることから③
まず、ナクバを知ることから④
この3年間、そして
12/27からの17日間(1/12現在)の被害者数を見るだけで、
これは「暴力の連鎖」なのではなく、
一方的な「虐殺」であることがわかります
この虐殺は、今に始まったことではなく、
1948年5月に、イスラエルが建国されたときから、
いや、厳密にはその数ヶ月前から始まり、
今でも続いているのです
ユダヤ人がパレスチナの地に、
イスラエルという国を作ることになったとき、
問題になったのは、
「すでにその土地に、パレスチナ人が住んでいた」ということです
圧倒的な人口で多産なパレスチナ人をユダヤ人は恐れ、
自分たちが安心して暮らすために、
パレスチナ人が、ユダヤ人の人口を越えないように、
パレスチナ人を村から追い出し、虐殺し始めたのです
この大惨事を、NAKBA(ナクバ)と言います
パレスチナ1948 -NAKBA
ジャーナリストの広河隆一さんが、
1948年に何があったのか、
イスラエル・パレスチナの双方からインタビューを集め、
まとめたものが映画化されています
パレスチナ人を村から追い出し移送する計画が、
「D計画」と呼ばれるものです。
パレスチナ人を追い出し、村を破壊し、
二度と帰って来れないようにすることが目的です
国連がイスラエルの建国を認めたとき、
パレスチナ人の「帰還権」も当然約束しました
しかしイスラエル政府は、パレスチナ人の帰還を認めないことを決定しました
一時的に家を出て、
親戚や知り合いの家に身を寄せる程度だと思っていたパレスチナ人は、
まさか、それから60年もの間、自分の家に戻れないことになるとは、
誰も予想していなかったことでしょう
このとき消された村の数は、400と言われています。
その時に発生した難民は約70万人
それからも難民は増え続け、
現在報告されているのは、456万人(2007年末)です。
なぜ今、イスラエルはガザを攻撃しているのか?
武器を置こうとしないのか?
ハマスはどうしてイスラエルに抵抗するのか?
1948年に何が起きたのかを知らないと、
今の状況もきちんと見えてこないと思います
私たちは、NAKBAに立ち返り、
その時に起こったことを、なかったことにせず、
あったことは、あったこととして受け入れ、
今の自分に何ができるか考えるべきだと思います