イベントを終えて②~まだ内戦は終わらない。

今回、「白いスカーフ運動」という、
1993年にグルジアで内戦が起きたときの
ドキュメンタリービデオを上映しました。
古来、グルジアには、女性の伝統的衣装である
白いスカーフを、戦争の中に投じると、
戦争はやむ、と言われています。
女性たちは、それを実行に移したのです。

上映会の時には、
内戦が起こった政治的背景についての話がなかったので、
ここに載せたいと思います。

********************************************************

1991年、グルジアは旧ソ連から独立を果たします。
グルジアの北東の国境には、独立を求めるチェチェンが存在し、
しかしロシアは、独立を認めません。
グルジアの北西の端には、アブハジア自治区が存在し、
ロシアは、アブハジアの独立を後押ししてますが、
グルジアは独立を認めません。
しかし1992年、そんなグルジアとアブハジアの間で内戦が勃発します。
この内戦では数千人がなくなり、35万人のグルジア人が難民として
アブハジアを追われます。
1993年、国連の調停で一応停戦状態を保っていますが、
故郷を追われた人々は現在もなお帰国のめどが立っていません。
トビリシでは現在でもホテルイヴェリアなどの大ホテルが
この国内難民に占拠されており、グルジアの経済発展の大きな足かせと
なっています。

グルジアとアブハジアの内戦の背景には、
以下のようなことがあります。
グルジアはスターリンの出身地。
彼はアブハジアにグルジア同化政策を押し付けます。
(その政治的意図に関しては、省略します)
そしてグルジアが独立することで、同化政策が高まることを
アブハジアの人たちは恐れたのです。

内戦時、アブハジアとチェチェンは手を組みます。
そしてロシアは、アブハジアを後押ししました。
その結果出た、35万人ものグルジア難民(この数字は諸説あります)。
しかも、10年以上たった今でも、解決できていないのです!

「女性たちが内戦をとめて良かったね~」では、終わりません。
充分な復興支援が受けられず、国際社会から忘れられてる人たちが
存在するのですから。
私たちは、この白いスカーフ運動から、
「日本が戦争に巻き込まれないためにはどうしたらいいのか」
ということを学ぶとともに、
今も取り残されてる難民たちの存在を、伝えていかなければならないのだと
思います。

ちなみに、この内戦で戦闘経験をつんだチェチェン人が、
この後、ロシアにとっての脅威になるとは、皮肉なものですね。

takashima

講演を行った高嶋氏。

スポンサーリンク


スポンサーリンク