日本の外務省やNHKも、ビルマのことを「ミャンマー」と呼んでいます。
1989年6月18日。
国軍が全権を掌握し、軍事政権となってから、
国名を「ビルマ連邦」から「ミャンマー連邦」に変更
しかし一般的には、「ビルマ人」とか「ビルマ語」のほうが定着しているし、
なにより今の軍事政権を認めていない人たちは、
ミャンマーのことを敢えて、「ビルマ」と呼んでいます
「ビルマに行く」というと大抵、
「危なくないの」
と、聞かれます。
ビルマの場合、国内の治安が悪くなると、
外国人の入国を拒否するので、
危険な目にあうことは、基本的にありません。
まず、ビザが下りませんから
しかしまあ、抜け穴をかいくぐって入国した外国人や、
または現地に住んでいる外国人が、
事件に巻き込まれる、ということはあるかもしれません
私は今回、
海を渡る看護団の
短期研修に参加してきました
現地での活動は6日間。
移動を合わせて9日間、というあっという間の滞在でしたが、
毎日が、かなり充実した日々でした
ここは、ワッチェト病院
ビルマ第二の都市であるマンダレーにあります。
病棟のナースステーション
私がここに到着したとき、
日本人の看護師が5名、日本人のドクターが4名いました
ワッチェト病院は、ビルマ人の看護師が20名ほどいるそうですが、
日本人スタッフの病棟と、ビルマ人スタッフの病棟に別れており、
患者さんも異なります
日勤の病棟
夜勤の病棟
海を渡る看護団代表の吉岡医師は、
毎月ビルマに来て、1週間ほど滞在します。
その間、1日8件ほどのオペを行います
吉岡医師が日本からやってくることを、
風のウワサで聞いた患者さんたちは、
その時期に合わせて、ワザワザ遠くからやってきます
吉岡医師にオペをしてもらいたくて、
やってくるそうです
その時期に合わせて、看護師の短期研修を行うのですが、
朝から深夜までオペがぶっ続けであり、
病棟はオペ後の患者さんで溢れかえります
病棟は、1人の看護師が約50人を看ます
夜勤も同様です
→オペ室や病棟では、長期研修の看護師が働いています
私たち短期研修はあくまでもそのお手伝い。
短期研修が終ってから、長期研修に移ります
私は、病棟から見えるこの風景が大好きです
川には船が浮かび、向こう岸にはパゴダ(塔)が、点々と見えます。
そして下を見ると、
農作業をしている人たちがいます
ナースステーションにいると、
「スヤマ~(看護婦さん~)、オレンジだよ~」
「パン持ってきたから、みんなで食べて」
と、お菓子やらラーメンやらコーヒーやら、
毎日たくさんの差し入れを、患者さんたちが持ってきてくれます
これって、お金を受け取るよりも、
すっごく嬉しいことです
オペ前は、自分の病気が苦痛で不安で
暗い表情をしていて、ベッドからほとんど動かなかった人が、
オペ後元気になって、笑顔をみせてくれることが本当に嬉しい
「この仕事をやってて良かった」って、日本では感じることがあまりないのに、
ここでなら自然と感じられるから不思議です
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2008年2月06日 ミャンマー/ビルマ 穏やかな川の向こうで①
2008年2月12日 ミャンマー/ビルマ 穏やかな川の向こうで②