63年前の6月23日

今年も6月23日を迎えました
沖縄慰霊の日です

1945年6月23日は、
沖縄での、日本軍による組織的戦闘が終った日です
しかし実際はその後も個別の戦闘が続き、
両軍の司令官が正式に調印を行ったのは、
9月7日です

6月23日は、東京の各所でも、
いろんなイベントが開催されており、
私は、元ひめゆり学徒隊の、
与那覇百子さんのお話を聞きに行って来ました

太平洋戦争の頃の日本では、
「一億総玉砕」だとか、「生き恥をさらすな」と言われていたそうですが、
百子さんは日本兵に、「生きなさい」と、
何度も言われたと言います
しかし実際生き残っても、仲間に対して、
「自分だけ生き残って申し訳ない」と思う日々

百子さんと同じ病院で一緒に働いていた仲間に、
慶良間出身の子がいました
その当時すでに、「慶良間で集団自決があった」という情報が入っており、
その少女はいつも、
「死にたい、死にたい。早く家族のもとに行きたい」と
言っていたそうです。
そしてその少女は、結局亡くなってしまいました。
しかし、皮肉なものです
その少女の家族は生きていたのです

集団自決は、その島民だけが犠牲になったのではないのです。
遠く離れた場所でも、集団自決の犠牲になった人が存在するのです

このイベントが面白かったのは、
ただ「過去を振り返る」だけではなかったことです
過去を、未来につなげていこう!
そうするには、何をすればいいのか一緒に考えよう!
というものでした

「過去、現在、未来」はつながっている。
昔の人も、今の私たちも、望むことは一つだけ
平和な世の中。
幸せな日常。
それを、未来につないで行きたい

太平洋戦争の頃も、みんなが望んでいたのは、
きっと、「平和な世の中」。
ただ、方法がちょっと違ってしまっただけ。
思いは、今の私たちと一緒

100年後の毎日に、贈りたいものはなんですか?

百子さんは、「今日の幸せ」と言いました。
私は、「大切な人たちと過ごす時間」だと思いました。
夫に聞いたら、「日常」だと答えました。

みなさんだったら、何て答えますか?

戦争とは、
ふとした日常が消えてしまうこと。
今日できていたことが、明日にはできなくなること。

大事なものを大切にする気持ちを、
未来につなげて行きたいですね

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