「死を待つ人の家」に行ってみました。

感じたことをポエム的に

雨期の8月、今にも雨が降りそうな空の下。

大きな建物の扉を開けると、フロアの右側が女性、左側が男性で約50床のベッドが整然と並んでいます。多くの日本人・欧米人ボランティアは、まずエプロンをつけ、石鹸で手を洗い~

その後は、誰も何をするのか教えてくれません。自分ができること、相手が望んでいることを自ら行動するだけです。

まだ自分で仕事を探すことに慣れていない私は、先輩ボランティアの後をついてまわり、見よう見まねで仕事をしました。

ゴム製のベッドを洗い、シーツをひいている間に他のボランティアが入浴介助をしてくれます。オムツ交換、着替え、洗濯、配膳、食事介助、後片付け・・・
看護師の資格があるボランティアは褥瘡の処置や薬を配ったりします。

私がここでできることって何だろう?
私だからできることってなんだろう?

そんなことを悶々と考えながらも、目の前にある仕事に追われて時間だけが過ぎて行きます。ベッドにシーツをひいている時、ふと顔をあげるとおばあちゃんが手招きをしていました。

言葉が通じない、何を言っているのかわからない。でも彼女は私の目を見て一生懸命話をしています。私は彼女の手を握り、「うんうん」とうなずいていると固かった表情が柔らかくなって、彼女は眠ってしまいました。

彼女が何を言っていたのか最後までわからなかったけど
「まあ、こういうのも悪くないなあ」

もちろんいいことばかりじゃありません。

ボランティアにお金をせがむ人がいたり、最後まで苦しみながら亡くなる人もいます。そして、「死を待つ人の家」で回復した場合数ルピーを握らされて、また路上に戻らなければならないわけです。

でも、ここに集まるたくさんのボランティアを見ると「マザーの愛は、確かに受けつがれている」と感じるし、力強い未来が見えるんです。

医療ボランティアの登竜門的存在

この当時看護学生だった私は、医師や看護師が常駐していない中でのシロウトちっくなケアに疑問を感じていました。でも疑問を感じるのは私だけではなく、「本当にこのやり方で良いのか?」というボランティアからの質問を、シスターたちは頻繁に受けていました。

そんな人たちに対してシスターは穏やかに「まずは私たちのやり方を見てください。」と答えます。

インドから帰国して数年間、正直私は「アンチ・マザーハウス」でした。ようやく最近になって彼女たちのやり方を認めることができ、ブログに書くことができるようになったのです。

マザー・ハウスには多くの看護学生や医学生がボランティアに来ており、仕事のあとは彼らと近くの食堂でご飯を食べるのが日課でした。

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写真は、カーリーガート寺院。
カーリーとは、インド神話のシヴァ神の妃であるパールヴァティーの憤怒相です。コルカタにあるカーリーガート寺院では毎朝、山羊による生贄が供養されています。

この側に、「死を待つ人の家」があります。行きつけの食堂もこの近くです。

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寺院を参拝すると、生け贄になった山羊の血が額に塗布されます。一緒に写ってるのは、現在の我が夫。

最後まで読んでくださりありがとうございます。
真波

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