子どもたちの笑顔を守りたくて・・・

私は、フォトジャーナリストの長倉洋海さんの写真が大好きだ。
信頼しきっている子どもたちの笑顔をみていると、
自然と涙が溢れてくる。
「この子どもたちの笑顔を守り続けるために、
私にできることは何だろう・・・」

『戦渦をこえて~アフガニスタン、コソボで私が出会った女性と子どもたち』
というタイトルの講演会が行われた。

旧ユーゴはもともとオスマントルコ(イスラム圏)が支配していた。
彼らは、もう一度旧ユーゴの支配をもくろみ、
民族自立の意識を植えつけて、対立させようとした。
本来、旧ユーゴは、民族にこだわっておらず、住み分けもできていなかった。
しかし民族主義に踊らされ、いつの間にか「昨日の隣人が今日の敵」に
なっていたのである。

セルビアという国の中のコソボ自治州はアルバニア系(イスラム系)住民が
多く、紛争後は200万のムスリム(イスラム教徒)が難民として
セルビア人に追い出された。
しかしその後、コソボでは少数派だったセルビア人がコソボから
出て行くことになる。
エスニック・クレンジングという、人権を踏みにじる行為が公然と行われた。
セルビア人はムスリムの女性をレイプし、セルビア人の子どもを産ませる。
セルビア側の政策の一環として行われた。

家族や友人を殺されたムスリムたちは、セルビア人をとても憎んだ。
セルビア側についたロマの人々(ジプシー)にも憎しみは向けられた。
しかし、数年立てばその憎しみは風化してくる。
人は憎しみでは生きていけない。憎むほうも苦しいのだ。
しだいに、セルビア人やロマの人々はコソボに帰ってくる。
それを快く思わないムスリムが大勢いる。
憎しみが風化しつつあると言っても、直接家族を殺された人たちにしてみれば
殺人者が自分たちの隣に住むということは受け入れがたい。

そんな中、長倉さんが取材していたムスリムのザビットさんはこう言った。
「戻ってきたければ戻ってくればいい。セルビア人でもロマでも、
ここで生まれ育ったのなら、ここに帰ってくればいいんだ」と。
まだ憎しみ合いが続く中で、ザビットのような人は「希望」である。
全てのムスリムがセルビア人やロマを憎んでるわけではない。
少数派だが、ザビットのような人たちも確実に存在する。
そういう「希望」の存在が、混沌とした紛争を平和に導くのだと思う。
だから、私たちは、その「希望」の存在を、多くの人に伝えなければならない。

**********************************************************************

私は、イスラム建築や、イスラム圏で町中に流れるアザーン(アラーをたたえる
言葉)にたまらなく心ひかれる。
そのため、9.11後、「イスラム=悪」という図式が定着していることがとても
残念である。
9.11の後、イランのテヘランで3000人が集まり、9.11で亡くなった人たちを
追悼する儀式が行われたことを、どのくらいの人たちが知っているだろうか。
同時多発テロや日常的に行われている自爆テロに対して怒り、
悲しんでいる人たちが、イスラム教徒の中にどれだけ多く存在するのか、
知っているだろうか。

もともとイスラム教徒は、お人よしで世話焼きで、人と人との助け合いを
とても大切にしている人たちである。
その証拠が今のパレスチナ問題である。
パレスチナ人が、国を持たないユダヤ人に母屋を貸したことで、結局乗っ取られ、
自分たちは追いやられてしまった。
(もちろん、パレスチナ問題の裏には米英が存在するがそのことはここでは省略)
しかし、タリバンやアルカイダなどのイスラム原理主義者は、
そのほとんどがパキスタンの難民キャンプ出身で、
厳格なマドラサ(神学校)に通い、そして原理主義に傾倒するようになる。
人の愛に飢え、人と人との助け合いが身についていない人たちが多いのである。
もしくは、原理主義者は裕福な家庭出身者が多い。
「お金はあるけど、人間の温かさを知らない」のだ。

テロリストである原理主義者は、一握りである。
イスラム教徒は、私たちと同じ人間。
私たちが平和を望んでいるように、彼らだって平和を望んでいる。
長倉さんの写真をみると、そういうことが素直に理解できる。

是非、長倉さんの写真集に目を通し、
遠くの隣人に思いを寄せてみてください。

nagakura

講演会の後の様子

スポンサーリンク


スポンサーリンク