心に刻む①

17日から19日まで、
広島に滞在しています。
2年ぶり広島。
あの時、「もうここに来ることはないんだろうなあ~」と
なんとなく思っていたから、
まさか、またすぐに来ることになるなんて意外・・・

今回の広島訪問の目的は、
広島に研修に来ているイラク人医師に会うためなんです。
でも、とりあえずその話は置いておいて。

今日は大久野島に行ってきました。
いやあ~、広島駅から遠かった・・・
電車が一時間に一本しかなかったり、
接続が悪かったり
今現在、大久野島は休暇村になっていますが、
訪れる人はほとんどいないんだと思います。
それはきっと61年前も同じ。
海という天然の要塞に守られ、
機密が外に漏れるリスクが低い場所として選ばれました。

hiro01フェリーから。
右側の、赤い桟橋が見える島が、大久野島です。
瀬戸内海に浮かぶ、約4キロ四方の
小さな島です。

大久野島は、かつてどんな場所だったかご存知でしょうか?

一時期、地図から消えた島。
第二次世界大戦中、旧日本陸軍によって、
毒ガスが製造されていた場所です。
大久野島は、もともとは田畑に囲まれた平和な島でした。
日清戦争の頃(明治時代)、砲台が築かれ、瀬戸内海の重要な
要塞となったのですが、実際に使われることはありませんでした。

それから月日がたち、
昭和2年。
海に囲まれていて、情報が外にもれないこと。
東京から離れているため、何かあっても(東京に)被害がないこと。
などの理由から、毒ガス製造の島として選ばれたのです。
そして昭和13年には、完全に地図から消されてしまいました。

日清戦争後、要塞としての立場を失い、不景気だった大久野島。
軍需工場ができて、島民たちは未来に大きな期待を抱き、
とても喜んだそうです。
工場に職を求めた島民たちもたくさんいました。
しかし、作業内容は知らされず、製造の過程において
多くの人たちが被毒しました。
無防備のまま毒ガスの粉塵を吸ってしまったのです。

工場には軍病院が併設されていましたが、
東京の陸軍省直轄のため、
東京にカルテや写真を送り、治療法の指示をもらう、というやり方。
しかも痛みを緩和させるなどの対症療法のみで、
完治させることはできませんでした。

毒ガスの性能が良くなるにつれて、
防毒服もどんどん開発され性能が良くなったのですが、
やはり服の隙間から、毒ガスが入り込んでしまいます。
悲劇が大きくなるのは戦後、製造が終わってから。
呼吸困難、慢性気管支炎、結核など、毒ガスの後遺症が現われたのです。
主な後遺症は、呼吸器系や消化器系に現われました。

大久野島ではさまざまな毒ガスの、
本格的な工場がありました。
毒ガスは、一般市民を含めた無差別殺傷兵器で、
苦しみながら死ぬ、非人道的兵器です。
世界では使用反対の声があがり、
明治32年(1899)にオランダのハーグに主要国が参加し、
毒ガス禁止宣言をしました。
しかし、その後も日本は毒ガスを次々に製造していったのです。

 

hiro02大久野島にある、毒ガス資料館。
毒ガスの記録は、敗戦後、
進駐軍が占領する直前に焼却してしまったので、
ほとんど残っていません。

 

hiro05
陶器製の、毒ガス製造機器。

 

 

 

hiro03
毒ガスの毒性を知る手段として(動物実験)
野生のウサギが使われました。
大久野島には、
今でも野生のウサギがたくさん生息しています。
戦時中、毒ガス製造中に、
一人の男性が誤って青酸を浴びて亡くなりました。
その時の状況が、動物実験の時と全く同じだったことから、
毒ガスの、人体への危険性を改めて認識。
それ以降、ガス漏れのリスクがありそうなところには、
ジュウシマツの入った鳥かごを吊るして、
ガスの濃度を判定したそうです。

hiro04

 

 

 
hiro06

毒ガスの貯蔵庫跡。
左の写真には、壁に黒いススが見えますが、
焼却の跡です。

 

 

昭和16年には16歳~19歳の少年たちが、
強制労働で、連れてこられました。
そして昭和18年には、勤労動員令により、
女学生・中学生が連れてこられたのです。

ここで作られた毒ガスが、実戦でどのように使われたかについては、
十分明らかになっていません。
資料館には、山西省や上海で使われた写真が
展示されていました。

昭和21年、米軍主導の下、毒ガスの処理が開始されます。
びっくりなのが、処理の仕方!
海洋に投棄したり、船に毒ガスを乗せて爆破
いやはや、海を汚染して、どうするつもりなのでしょう??
そして、有毒物質に汚染された工場は焼却。
昭和29年から、認定ガス障害者の方々に、無料治療を行ったり、
一時金を払ったりし、それは今でも続いているそうです。
しかし、被害にあった全ての人をカバーしているのか?
一時金は十分なものなのか?
そして、いくら補償を受けても、
心身の痛み・苦しみを完全に取り除くことは
できないのです。

大久野島の毒ガス製造のことが日本で明るみになったのは、
1991年のこと。
米国国立公文書館から、米陸軍の機密書簡として見つかりました。
たった、15年前のことです。

資料館には、「世界で使われてる、非人道的兵器」として、
マスタードガスにやられたイラン兵士や、
ハラブジャで、毒ガスにより虐殺されたクルド人、
の、パネルが展示されていました。
どれもこれも「イラクが使った」と、記しています。
そんなイラクも今は、米英に使われたDUに苦しんでいます。

読んでくださり、ありがとうございます。

スポンサーリンク


スポンサーリンク