心に刻む②

今日は、呉の大和ミュージアムと、
江田島の旧海軍兵学校、
に、行って来ました。

人間魚雷「回天」をご存知でしょうか?
今年映画化された、「出口のない海」では、
回天の特攻隊員たちを描いています。

太平洋戦争での戦局が悪化し、
日本に残された道は「特攻」だけだったわけです。
しかし海軍創設以来、
認められることのなかった人間魚雷。
回天を考案したのは、特攻に身を投じる青年士官でした。

回天の資料が収められているのは、
山口県大津島の回天記念館。
東京靖国の遊就館。

そして私が訪れた、江田島の教育参考館と、
大和ミュージアム。

hiro14江田島の旧海軍兵学校は現在、
海上自衛隊第一術科学校として健在です。
春夏は一日3回、
無料で見学の時間を設けています。

学校の敷地内には教育参考館があります。(写真)
ここには、東郷平八郎、山本五十六、ネルソン提督の
遺髪があり、一般公開はされていません。
そして回天乗組員の写真や遺書、遺品。
神風特攻隊の遺書、遺品が陳列してあります。
海軍の歴史が集められており、見る物が多すぎて、
50分という時間の中で全てを見るのは難しかったです

遺書をじっくり読んでいると、
なんとも言えない気分に襲われます。
「靖国で会おう」
「東京九段で会おう」
日本が新しく生まれ変わることを信じ、
そのためなら命を散らすことを厭わず、
志願する若者たちが、実際にいたわけです。
日本のために死ぬことだけを考えて、辛い訓練を乗り越え、
仲間たちを見送ったにも関わらず終戦を迎え、
「生」の意味を見出せず、自決した若者もいました。

しかし、
教育参考館に名前や写真が残っている人たちは、
何らかの功績を残した人たちや、
大学を卒業した海軍のエリートたちです。
戦争をしたくないのに、死にたくないのに、
名前さえ残せず、命を散らした人たちが、
たくさんたくさんいたわけです。

彼らの思いを無駄にしてはいけないのだと思います。

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大和ミュージアムは、
実物の10分の1である戦艦大和の模型が見所です。(写真左)
そして回天の実物もありました。(写真右)
ここも資料がたくさん、映像もたくさん。
見所満載です

hiro11呉は日本最大の軍港でしたが、
今でもその技術は受け継がれ、
造船工場が稼動しています。
写真の場所で、戦艦大和も造られました。

hiro12呉港には、海上自衛隊の護衛艦が
身を沈めていましたが、
グレーの船に軍艦旗(今は名称が違うのでしょうか?)や
日の丸が掲げられている様子を見ると、

「こりゃあ~、どう考えても軍隊にしか見えないよなあ~」と。
なんだか、複雑な気分でした。

220台を行ったりきたり
しています。

20番台を行ったりきたり
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