中欧のボスニア・ヘルツェゴビナでは、
「コミュニティー・ガーデン・プロジェクト」という、
緑の力を媒介に、人と人との絆を取り戻す活動が
行われています。
今回、このプロジェクトに関わってる人たちが来日し、
講演会を行っています。
旧ユーゴの紛争をご存知でしょうか?
92年から3年半に渡った戦争で、
セルビア人、クロアチア人、ボスニアク(イスラム教徒)が、
独立をめぐって激しい民族紛争を繰り広げました。
戦後、民族の住み分けが進み、戦前のような多民族が
入り混じって暮らすコミュニティーが崩壊したボスニアでは、
いまだに戦火の火種が
消えません。
しかしこのプロジェクトでは、多民族が一緒の畑で
ともに野菜を育てる中、
民族を超えた多くの友情が育まれてきました。
私はこのプロジェクトのことを知ったとき、
物凄い衝撃を受けました。そして、これは今の日本にも
応用できるのではないかと思ったのです。
95年、ボスニアのスレブツニツァで、
第二次大戦以降の大虐殺が行われたのをご存知でしょうか?
8000人の男性が皆殺しにされ、
女性だけが逃げることができました。
しかし逃げることができたからといって、
それで済んだわけではありません。
女性たちはレイプや拷問に合い、助かったのは
小さな子どもを持つ母親だけでした。
現在ここは、UNの管轄下にあり、
男性たちがどこに埋葬されているのか分からない状況です。
恐ろしい状況から逃げてきたスレブツニツァの女性たちも、
コミュニティー・ガーデンに参加しています。
彼女たちがガーデニングに精を出すのは、
過去の恐怖を忘れるため。
ここで野菜を育てるのは唯一の希望なのです。
ボスニア内にコミュニティー・ガーデンはいくつかありますが、
主な参加者は、精神障害者、障害を持っているシングルマザー、
PTSDのある人など、
いわゆる社会的弱者とみなされる人たちです。
もちろん一般の人も受け入れているそうですが、
現在、35か所で3000人の人たちがウエイティングリストに
載っているとのこと。この人たちは中産階級の人たちだそうです。
しかし、予算やスタッフが不足しているため、
受け入れられないという現状があるのです。
このコミュニティー・ガーデンは、欧米、ロシアなどが
興味を持っています。
唯一興味を持たないのは、ボスニア政府です。
ボスニアの3大政党は、それぞれの3民族を代表する政党で、
多民族が協力し合うプロジェクトを快く思わないのです。
ボスニアでは、誰も戦争なんてしたくありませんでした。
「どうして戦争をしたの?」と聞くと、
「いつの間にか、知らないうちに始まっていたんだよ」と。
知らないうちに、民族主義を裏であおってた人がいたわけです。
日本も人事ではありません。
憲法九条がいいように解釈され、イラク戦争に参戦。
自衛隊まで派遣したのです。
それを本気で阻止しようとした日本人はどのくらいいたのでしょうか?
「日本もいつもまにか、戦争になっていた」
という状況になる可能性は十分にあるわけです。
ボスニアの人たちの凄いところは、
自分の大切な人を殺した相手を、「彼ら」ではなく、
「彼」と言うのです。
例えば、「息子は彼ら(セルビア人)に殺された」というのではなく、
「彼(セルビア人の一人)に殺された」と。
集団の中に個人を隠そうとしないのです。
憎むべきは「民族」ではなく、「個人」ということです。
日本は北朝鮮を仮想敵国にしていますが、
我々日本人は、コミュニティー・ガーデンを北朝鮮と結びつけることが
できるでしょうか?
そんな質問が、会場からありました。
北朝鮮の人たちと一緒の畑で作物を作るのは、今は不可能です。
でも今の私たちにもできることがあります。
北朝鮮にも私たちと同じように作物を作って食べている人がいます。
地に足をつけて生きている人たちがいます。
毎日の生活の中で、思いを馳せてください。
豊かな想像力は、何ものにも変えがたいものです
110~150台を行ったりきたり
しています。
12~15番台を行ったりきたり
しています。