中東に位置するレバノン。
去年の7月にイスラエルが侵攻し、
そのことがニュースになるまで、
あまり聞いたことのない国名だったのではないでしょうか?
レバノンは古来から、交通や交易の要所として重要視され、
そのため、ローマ帝国や十字軍の侵略に遭ってきました。
第一次世界大戦が終わるまで、フランスの植民地であり、
大戦後に独立を承認。
しかし、隣国のシリアとの国境線を引くとき、
レバノン国内のキリスト教信者が多くなるように調整したのです。
その結果、レバノンは中東で唯一のキリスト教国となり、
首都のベイルートは、「中東のパリ」と呼ばれるくらい
華やかな街になりました
しかしその後、中東各国からイスラム教徒が流入し、
その結果、さまざまな軋轢がうまれ、
内戦が勃発したわけです
1982年のレバノン戦争に引き続き、
2006年も、イスラエルがレバノンに戦争をしかけてきました。
何故なら、
北のハマス(イスラム抵抗運動、パレスチナ解放運動)、
南のヒズボラ(イスラム教シーア派)を叩くため。
ひいては、
ハマスの後ろにあるシリア、
ヒズボラの後ろにあるイランを潰すため。
そのためにまずレバノンで内戦を起そうとし、
まず手始めにヒズボラを叩いたわけです。
後ろにアメリカを従えたイスラエルは、
キリスト教徒のレバノン人と手を組んで、
「新レバノン」を作ろうとしましたが、
実際多くのクリスチャンはヒズボラを支持。
戦争が長引いたら、「反ヒズボラ」もあったでしょうが、
そうならなかったのは、戦争が短期間で終わったからだと思います。
しかし、まずイスラエルに侵略させて、
その後に欧米諸国が乗っ取る、というのは、
常套手段なのでしょうか?
今回のレバノン戦争はアメリカの思惑があったでしょうし、
1956年の第二次中東戦争(スエズ戦争)のときも、
英仏がイスラエルをけしかけて、エジプトに戦争をふっかけています。
ピンポイントで、レバノンのヒズボラの拠点を狙っていたイスラエル。
しかし戦争が終わってみると、
一般市民が巻き込まれただけで、
ヒズボラの幹部は誰一人亡くなっていません。
結局、イスラエルの敗北というかたちで、
レバノンから撤退しました。
この戦争は、イスラエルとレバノンだけの問題ではありません。
「反テロ戦争の敗北」とも言えます。
レバノンからイスラエルを追い出したのは、
政府ではなく、他でもない、レバノンの民衆です。
私たち外国人がデモを行っても、戦争を止めることはできませんでした。
国連軍も武装解除できませんでした。
民衆が侵略軍を追い出す。
これは、アラブ諸国にとっては
驚愕すべきことです。
なぜなら中東諸国は、政府と民衆が緊張状態の中、
やっと成り立っているからです。
例えば、
ヨルダンやモロッコは、民衆にパレスチナ人が多数を占めています。
バーレーンは米軍基地があり、シーア派と対立しています。
エジプトは、イスラエルと国交があるため微妙な立場です。
緊張のバランスが崩れる→戦争
これだけは、避けなければなりません。
そのためにもシッカリ目を開いて、
中東の動向に関心を持っていたいと思います。