初のノーマンズランド。

去年の9月、
私はJIM-NETの活動のため、
ヨルダンに滞在していました
JIM-NETは、
イラクの白血病の子どもたちの医療支援を行っているわけですが、
この時、
UNICEF(ユニセフ)の仕事を受けていた、
ヨルダンの保健省の方たちに便乗させてもらい、
ノーマンズランドに行く機会に恵まれました

仕事は、予防接種と、薬の配布
メンバーは、ヨルダン側はドクター2名、看護師1名。
日本側はドクター2名、看護師1名(私)、コーディネーター1名の、
計7名でした。

ノーマンズランドとは、
戦争をしている国との国境には必ず存在する、
1~2キロに渡る、
非武装地帯のことです

イラクとヨルダンの間にあるノーマンズランドには、
(イラクは内戦状態なので、
ヨルダンとの国境には、ノーマンズランドが存在します)
イラク国境を越えたけれども、
ヨルダンには入国できずに立ち往生している、
イラン系クルド人の難民が、キャンプを作って暮らしています
ノーマンズランドはとても特殊で、リスクの高い場所のため、
国連は、そう簡単に手出しができません。
そのため、保健省に仕事を委託するわけです
→これも、おかしな話ですね

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これが、ヨルダンの国境
アーチ型の建物が、国境のゲートです。
上に、ヨルダンの国旗が見えます。
国境を越える道路はアスファルトでできており、
まわりは、フェンスと有刺鉄線で囲まれています

国境には、たくさんのトラックが列をなしていて、
なかなか前に進みません
出国の許可を得るのに時間がかかっているのです。
私たちは、ユニセフからの証明書を見せ、
早めに通ることができました

しかし、アーチ型のゲートを越えても、
ヨルダンを出たことにはなりません。
途中まで行くと、イミグレーションがあり、
パスポートの審査があります
ヨルダン警察のオフィスにも通され(お茶をいただきました)、
私たちの車に、ヨルダン警察の護衛が付くことになりました。
そこで出国の許可を得て、
晴れてノーマンズランドに入ることができたのです

イラク警察の護衛つきで、
ノーマンズランドを一気に走り抜けます

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一旦、難民キャンプを素通り

「あれっ」という間に、
イラク側のゲートをくぐり、イラクに入国

まずは、この難民キャンプを管轄している、
警察の偉い方に、あいさつです

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お茶をご馳走になりながら、話をしていると、
警察の所長さんは25年前にも、
イラクの別の場所で難民関係の仕事をしたとのこと。
そこで出会ったクルド難民と、
再び、このノーマンズランドの難民キャンプで出会ったそうです

25年にわたる難民生活・・・
人として生まれてきたにも関わらず、
国を持たないという理由だけで、
その時の政治的理由で、自分の人生が左右されてしまう。

イラク警察の人たちは、とてもフレンドリーで、
気さくな方たちでした
普通、ノーマンズランドや難民キャンプは、
写真撮影が禁止されているのですが、
所長さんは、
「この現状を多くの人に知らせて欲しい」と、
写真撮影OKだったのです

キャンプにいる難民は、イラン系クルド人です。
イラクからの難民なのに、何故イラン系クルド人と、
思いませんか?
これは、中東独特の民族移動があります
クルド人は、国を持たない最大の民族で、
イラン、イラク、シリア、トルコ、アルメニアにまたがって
暮らしています

そして、1979年にイランで起こったイラン革命(イスラム革命)の時、
イランの指導者・ホメイニ師による弾圧から逃れるために、
イラクに難民としてやってきたわけです
それから28年。
今でも難民として暮らしているのです。

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