チェルノブイリの雨

チェルノブイリ博物館
チェルノブイリ原子力発電所4号炉①
チェルノブイリ原子力発電所4号炉②
プリピャチからチェルノブイリへ。

ベラルーシ共和国のゴメリ州ベトカ地区
チェルノブイリ原発事故当時、風下にあったために、
放射能の被害が一番大きかった場所です

今回、事故当時のことを、改めて2人の方から話をうかがいました

ベトカ地区病院の院長であるナージャ先生。

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事故当時、ベトカ地区の人口は約4万人。
放射能が15~40キュリーの村は住民が強制移住させられたので、
ベトカ地区の人口は半分の25000人に減りました

事故後、2回ほど、病院のまわりの土を掘って除染したそうです。
汚染した土は「汚染処分所」で廃棄し、
非汚染地区から、新しい土を運んできました

じゃあそれで、病院のまわりの放射能汚染が低くなったかと言えば、
ナージャ先生曰く、
「病院のまわりは、大体10-15キュリーくらいね~。
場所によっては15キュリー以上のところもあるわ~(☆゚∀゚)」
と、笑っていいますΣ( ̄ロ ̄|||)
また、ベトカ市内も1-5キュリーくらいは、あると・・・

えっと・・・・・・

ちなみに、5-15キュリーは任意移住が可能なところです。
5キュリー越えてたら、モニタリングが必要になります。

それでも20年前よりは放射能が低くなってきており、
5年ごとに測定しているそうです

都市部よりは森の放射能汚染が高いと言われており、
特に、キノコやベリーに放射能が蓄積されます
しかし、ベラルーシのキノコやベリーってとっても美味しく、
いくら、
「森に入るのは辞めなさい」
「キノコとベリーは食べないように」
といっても、森に入る人は入るし、食べる人は食べてしまうそうです

なので内部被爆をしている人は毎年いて、
ちなみに去年は67人。
そういう人たちは年に2回、病院で検査を受けて、
フォローアップしているとのこと
内部被爆していても、その後の生活環境の改善により、
体内から放射能が消える人もいるそうです~v( ̄∇ ̄)v

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でも、何でベトカ地区の放射能汚染が高くなったのか・・・
昔から、
ソ連当局が雲を発生させて雨を降らせたんじゃないか?
と言われています。
放射能がモスクワに流れてこないために

ナージャ先生も、その説を信じている1人です。

ナージャ先生はベトカ地区出身で、事故当時は学生でした。
丁度事故が起こったとき、
メーデーを挟む休暇で、ベトカに戻っていました。
先生は事故直後、
ベトカに「黄色い雨」が降ったのを確かに見たと、言います
水たまりが黄色だったのを覚えていると・・・

そして、ベトカ市長。

betoka1004

ベトカ市内の人口は約7000人。
ベトカ地区には83の村があり、
地区の半分が放射能で汚染されています
地区人口の40%が年金生活者です。

ベトカは、農業に関する工場で経済を成り立たせており、
今後は外資の企業を誘致したいとのこと。
←イランのセメント工場を建てる話がある、と。

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ここベトカは、チェルノブイリから150キロ。
ロシアから50キロしか離れていません。

ベトカ地区は、まだら模様に放射能汚染のホットスポットが存在します。
汚染地域と非汚染地域が、混ざり合って存在するんです。

その理由を市長も、
「雨が降ったからだよ」とニヤッと笑って答えます。

本当にソ連が雨を降らせたのか?
真偽のほどはわかりません。
しかし、ソ連(ロシア)に怒る風でもなく、
「いまだに汚染が高く、リスクも高い」と知った上で、
それを受け入れ、事故前と同じように日常生活を送っています

逆に驚いて戸惑うのは、そこに住んでいない私たち。
でも、慌てふためいたところで、何も変わらないんですよね。
ここが、彼らの故郷なんですから。

ありがとうございます。
mana

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4 件のコメント

  • お疲れさまです。貴重な現地の報告ありがとうごさいます。
    日本にいてもロシアの猛暑による放射能汚染された地域の森林火災による汚染拡大の懸念が日本の新聞にも載りました。通常は滅多に話題にならないですが。24年以上たって問題は終わっていないことを改めて思い知らせたのではないでしょうか。

  • ふじいさん
    コメントありがとうございます!
    はい、そうなんです、、、
    ブリヤンスクの森が燃えていたとき、
    私たちは、ちょうどベトカ地区にいたのですよ!!!
    恐ろしい話です。。。

  • 始めまして。興味深く読ませて頂きました。manaさんの明るい雰囲気が伝わってくる文章とってもステキです。この記事に「生活環境の改善で体内から放射能が消えた」とありますが、それは食生活ですか?それとも他の地域に移住されたということですか?どんなことでもいいので教えて頂けたら嬉しいです。

  • coriricoさん
    はじめまして、こんにちは
    お返事がかなり遅くなってしまい、
    大変申しわけございません
    ベラルーシに興味をもってくださり、
    本当にありがとうございます
    >「生活環境の改善で体内から放射能が消えた」
    につてですが、
    ベラルーシは、森の中のきのこやベリーに放射能が濃縮されていて、
    食べないように喚起しているのですが、
    やはり美味しいので(苦笑)、森に入って自生しているきのこやベリーを
    食べてしまう人がいるんです。
    もしくは、他の食材でも高汚染地で採れる物は気を付けるように
    注意を促していますが、検査で引っかかる人が毎年いるんですね。
    なので、食生活の改善を促し、指導しています。
    すると、大抵は翌年、消失するそうです。
    しかし、ここにはちょっと疑問点があって、、、、
    つまりこれは、内部被曝ではないということです。
    内部被曝であれば、外からは測れませんから。
    一体、何を測定しているのか・・・?
    確認して分かったら、こちらにコメントしますね