東京で生まれ育っていながら、
8月15日に靖国を訪れたのは、
今年が初めてです
8月15日に靖国でどんなことが
行われているか興味津々の私は、
九段下に着くなり、キョロキョロ
私が到着したのは14時近く。
午前中は日本武道館で追悼式があり、
天皇皇后両陛下も出席。
そのせいか、
靖国のまわりには、
機動隊がたくさん待機しており、
そして右翼団体の街宣車が、ひっそり止まっていました。
地下鉄の九段下から地上に出ると、
とにかく、物凄い暑さの上、
人、ヒト、ひと
若い人も、子供づれの家族も、とにかくたくさん
そして、いろんな団体の人たちが、
ビラ配りをしており、
私はそれをあとでゆっくり読もうと、
一枚一枚、もらってきました
興味深かったのは、
旧日本軍の格好をした人たちが
歌を歌ったりパフォーマンスをしていたこと。
従軍した救護日赤看護婦の格好をしていた女性もいました。
ちなみに私は日赤出身の看護師です。
卒業式には、卒業生全員が、
従軍時に着用した紺のワンピースと帽子を着用します。
私たち日赤の看護師にとって神聖な制服なのに、
あのように興味本位で着られると、
釈然としない思いに囚われます
テレビで見たことのある、
「晋ちゃんまんじゅう」。
一人でたくさん買っている人が、
何人もいました~
「もうそろそろなくなるだろうから、
今のうちに買っておかなければ!」
という感じでしょうか。
昨日も、パール判事について、
NHKで放送されていました。
パール判事は、東京裁判のインド代表判事
として着任しました。
11人いた判事の中で唯一、
「A級戦犯25人、全員無罪」を主張した方です。
しかしパール判事は、日本軍がアジアで行った残虐行為を咎めており、
「全員無罪」は、日本の戦争を正当化したわけではありません。
東京裁判の正当性を疑問視していたわけです。
東京裁判での罪名の多くは、
当時の国際法には存在せず、
東京裁判用に「あとづけ」しました。
裁く側には中立国が含まれず、連合国側だけで構成。
つまり、連合国側が日本を徹底的に叩き潰すために行った裁判と言えます。
パール判事はその部分を指摘していました。
太平洋戦争は、
「侵略戦争」だったとか、
いや、「自衛戦争」だったとか、
人によって意見は分かれますが、
「今から侵略戦争を始めます」と言って始める戦争はありませんよね。
攻撃する側は、いつだって「自衛」のためなのです。
本当は「侵略」であっても、「自衛」と言って始めるでしょう。
「侵略か自衛か」のついての論議は、
当事者にとってみれば、いつまでたっても平行線。
水掛け論ではないでしょうか?
ようは、
勝てば「自衛」、負ければ(または世論が反発すれば)「侵略」
という感じでしょうか。
遊就館にある「結」というカフェで。
クリームあんみつと、
古代米ちまき。
なかなか美味しいですよ