沖縄のガンジー

最近、ツイッターを始めました。

今日、3月21日は、
沖縄のガンジーと言われた、
阿波根昌鴻さんの命日です

阿波根さんは、1903年に沖縄県本部で生まれ、
学費を稼ぐためにキューバやペルーに渡った後、
31歳の時に無一文で帰国

1934年に、
沖縄県伊江島でデンマーク式農民学校
を設立
しかし1945年4月、
伊江島に日本軍飛行場があったために激戦地となり、
島民の1/3が殺され、農学校も破壊
長男の昌健さんも召集されて戦死。

戦後10年たった1955年、
農民学校の再建も順調に進んでいた頃、
武装した米兵300人が伊江島に上陸して、
ブルドーザーと武器で、
島民の家を破壊し、土地も奪われ
農民学校も破壊差され、土地も奪われ・・・

それ以来、島民は非暴力の抵抗運動を続け、
阿波根さんも2002年に100歳で亡くなるまで、
非暴力の戦いを続けたのです~(☆゚∀゚)

基地反対運動も、
決して反米的にはならず、
相手を威嚇するような道具も持たず、
耳より上に手を挙げず、
大きな声を出さず、静かに話す

亡くなる直前は、
9.11後のアフガニスタンの侵略を憂え、
平和が見えない
あの世にいっても平和運動しなければならないのか
という言葉を残しています

晩年は足腰を悪くしていたそうですが、
日本全国からたくさんの人たちが、
阿波根さんの話を聞きに訪れ、
わかりやすい言葉で、
平和を語ってくれました(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

1984年には
伊江島反戦資料館「
ヌチドゥタカラの家
」が開館
→ヌチドゥタカラとは、『命は宝』という意味
そこの入り口の左壁には、以下の言葉が。

すべて剣をとる者は、剣にて亡ぶ(聖書)
基地をもつ国は基地で亡び、
核を持つ国は核で亡ぶ(歴史)

沖縄の嘉手納基地には、
劣化ウラン弾
があったと言われています
日本政府はその事を、アメリカ政府に確認していません
阿波根さんがこのことを知ったら、どう思ったでしょうか・・・

口先だけでいくら叫んだところで、
強い権力の座にある戦争屋に勝つことは難しい。
戦争反対は生活の中から始めなければならない。
彼らは私たちの分裂、ケンカを喜ぶでしょう。
消費は美徳の踊らされて貧乏するのも喜ぶでしょう。
不規則な生活をして病弱になることも喜ぶでしょう。
時間を無駄にして勉強をしないで無知になるのも
喜ぶでしょう。
私たちは戦争屋を喜ばさない生活をすることも
大事な平和運動であると考えて
その実行に努めております。

私が平和活動を続けていく上で、
何度も自分の中で反芻している、阿波根さんの言葉です

ありがとうございます。
mana

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2 件のコメント

  • 力強いマナ節。「ありがとうございます」はこちらのセリフです。
    連日の連稿、誠に脱帽の限りです。
    「シンク・グローバリー・アクト・ローカリー」は、平和を口ずさむ私が、活動の原点を見失いそうになるたびに反芻するキーワードの一つです。
    非暴力の闘争に人生を捧げた先人のお言葉は誠に含蓄が深いですね。
    自分が「人間」であり続けるために、大切な言葉の指標を今日もご紹介いただき、誠に感謝に絶えません。
    たとえコメントする方は僅かでも、閲覧されている方は無尽蔵であることを大いなる希望に、今後のご活躍にご期待申し上げております。
    どうかお体を大切に。私も逡巡を続けながら、身の周りの反核と平和の構築に前進を続けて参りますので。

  • SUPさん
    こんにちは
    コメントありがとうございます
    私が阿波根さんの事を知ったのは、
    去年の事です・・・
    生きていらっしゃるうちに、お会いしたかったと、
    今更後悔しても遅いですね
    でも、阿波根さんの言葉や、交流があった方々から
    学べることがたくさんありますから
    地に足のついた活動を継続したいと思っています