最近、ツイッターを始めてみました
以前告知した、イラク戦争を考える2010
『イラク』と名前を出しても、最近は人が集まらなくなり、
どうしたものか~~(; ̄Д ̄)と、
集客に頭を悩ませる昨今。
なんとか目標の20人を越え、
イベントの内容自体も、満足のいくものとなりましたv( ̄∇ ̄)v
ありがとうございます
この日は、飛び入り参加された方が2名いました(*’-‘*)
まず最初は、ジャーナリストの安田純平さん
2004年にイラクで拘束された後、解放。
その後、イラク軍基地で料理人として出稼ぎ労働をし、
それを、『ルポ出稼ぎ労働者』として出版
書籍の告知のために、飛び入り参加です~
そして、この日のメインスピーカー、
広島被爆者・山田玲子さんのお話です~
山田さんは小学5年生・11歳の時に被爆。
ざっと数えて、お歳は75歳くらいだと思うのですが、
とてもそうとは思えないくらい、お肌がピチピチしており、
お元気でお綺麗な方でした~(* ̄∇ ̄*)エヘヘ
山田さんの話は生々しく、
とても65年も前の話とは思えないほど・・・
彼女が開口一番言ったことは、
医療は何も解明できていない
このままの状態が続くのではないかという不安
医療従事者の私としては、胸が痛む言葉です
山田さんのお父さんは、広島市内で被爆。
その後、毎年毎年ABCCから、
検査の呼び出しがあったそうです。
最初は、治療を期待して、お父さんも喜んでいたそうですが、
結局、何度検査に呼び出されても、
一向に治療をする気配無し・・・
検査結果の報告さえありません( ̄‥ ̄)=3 フン
お父さんは肺がんと白血病に冒され、
アメリカに対する怒りの中で亡くなったそうです。
お父さんが亡くなったあと、またABCCから連絡が∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
死亡解剖させて欲しいとのこと。
3~4回電話があったそうですが、断ったそうです。
カルテは非公開で、
お父さんの状態は知らされないまま、という問題。
いまだに原爆症が医学的によくわかっていない、という問題。
もしデーターが世界的に公開されて研究されていれば、
その後の、チェルノブイリ原発事故の治療や、
イラクの劣化ウラン弾の治療に生かせてたかもしれない
山田さんは24歳で結婚を機に上京してから、
豊島区の『豊友会』(豊島区原爆被害者の会)の会長や、
『日本原爆被害者の会』の常務理事を何十年も続けています
そんな中、
チェルノブイリ原発事故後、ウクライナに3回訪問したり、
チャリティーコンサートを開催して、その収益を薬代にしたり、
NPT会議には毎回参加し、核廃絶に奔走しています(‘▽’*)
今年の5月に、
NYの国連総会で行われるNPT会議にも参加予定で、
また、アメリカの学校をまわって、
原爆の体験を語り続けています(☆゚∀゚)
9.11の後、
ブッシュはテロリストたちに『報復する』と発言しましたが、
私たち被爆者はアメリカに復讐することを、
考えたことはありません。
それよりも、核兵器をなくすことに声をあげていきたい
山田さんは、そう語っていました
つづく。
ありがとうございます。
mana