安全な道

1986年4月26日。
旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号炉で、
未曾有の大事故が起きた日です

それから24年。
今週来週は、チェルノブイリ原発事故を忘れないようにと、
あちこちでイベントが多数開催されます(*’-‘*)

先日、チェルノブイリ原発事故に関する
ドキュメンタリービデオ7本を見る機会がありました

その後、何とか動画という形であの事故のことを
たくさんの人に知ってもらう方法はないものかと考え、
以下の動画をここに貼り付けることにしました

「ザ!世界仰天ニュース」からです~

内容を確認したのですが、偏りがあるかな~という気はします
というのも、事故当時の運転員に焦点を当てて作られており、
事故の原因は、その運転員たちの度重なるミスとして描いています

しかし1991年、ソ連原子力産業安全監視国家委員会の特別調査委員会は、
事故の原因と状況に関する報告書の中で、
「事故の原因は運転員の規則違反ではなく、設計の欠陥と責任当局の怠慢にある。
そのため、チェルノブイリのような事故はいずれ避けられないものだった」
と述べています

この番組では、そのことが描かれていません( ̄‥ ̄)=3 フン

この番組は3年前に作られたモノ。
今では事故の原因は、運転員のミスではない、というのが定説。
そのあたりを、差し引いて見ていただければと思います

もともとチェルノブイリ原発は、1970年代に作られ始め、
1号炉が1977年に臨界達成。
2号炉が78年、3号炉が81年に臨界に。
2号炉は、設計に欠陥があるのを指摘されていたのですが、
にも関わらず同じ設計の4号炉が作られ、83年に臨界。
その3年後に4号炉は事故を起こしたわけです

ちなみに最初に欠陥が指摘されていた2号炉。
4号炉の事故のあとも運転が続けられており、
結局、91年に火災事故を起こし、運転停止
1号炉は当時のG7の圧力を受けて閉鎖。
最後まで運転を続けていた3号炉は、ようやく2000年になって
運転が停止したのであります(-ε-)

「チェルノブイリ原発事故 6-1」
事故の概要が、冒頭でわかりやすく描かれています。
4号炉が爆発し、建屋の屋根が吹っ飛び、
炉心にあった核燃料が飛び出してしまった、わけです。

「チェルノブイリ原発事故 6-2」
原発がどのように電気を作っているかを、
わかりやすく解説しています。

「チェルノブイリ原発事故 6-3」
運転員たちの能力不足は確かにあっかたもしれませんが、
ソ連型の原子炉には欠陥があったわけですね。

「チェルノブイリ原発事故 6-4」
4号炉爆発の瞬間です。(もちろんフィクション)

「チェルノブイリ原発事故 6-5」
急性被曝の恐ろしさ。
実際の、当時のフィルムを見ると、
放射能による感光と、「パチパチ」という音が聞こえます。
そして市民に、世界に隠され続ける事故の真実。
事故は、ソ連ではなくスウェーデンによって世界に知られることになります。

「チェルノブイリ原発事故 6-6」
事故直後、消火作業にあたった多くのの消防士は、急性被曝などで死亡。
その後、処理作業にあたった人たち(リクビダートル)の多くは死亡。
しかしその子どもたちの多くは、被曝の影響を受けており、
今でも苦しんでいる人たちが、存在します。

4号炉はメルトダウン(炉心融解)が起こって爆発しました。
→メルトダウンとは、原子炉の炉心が異常な高温となって、
  燃料が溶解してしまう現象のこと。

4号炉の炉心の真下には冷却用のプールがあって、
このままメルトダウンが進めば、
プールの水と接触して再爆発する恐れがあったのです~Σ( ̄ロ ̄|||)

そのため、作業員を大量に地下に投入し、
プールの水抜きをおこないました。
メルトダウンした炉心の直下での作業ですよ~~Σ(`□´/)/
恐ろしい被曝量だったに違いません

映像を見ていると、むき出しになった燃料棒や黒鉛のそばで
処理作業をしている人たち。

これらの作業者(リクビダートル)で生き残っている人たちは、
当時は英雄扱いでしたが、今ではやっかいものとして、何の補償もなく、
忘れ去られてしまっています
今でもたくさんの病気を抱えながら・・・

原発は人間が作るもの。
「完璧」なんて、ありません。
ミスがあって当然。
失敗があって当然。
だから、少しでも危険があれば避けるべき。

亡くなった消防士の息子さん(12歳当時)が言ってました

原発は一部の人の利益。
安全は全ての人の利益。
だったら、ボクは、
原発より、全ての人にとって利益になる「安全」の方がいい。

ありがとうございます。
mana

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