国際死刑廃止デー2007

毎年10月10日は、
「国際死刑廃止デー」です

死刑制度存続・廃止については、
世界中で議論されていますし、
自分がどう考えているのか、
明確にするのは、難しい問題だと思います

私は、死刑は廃止していいのではないか、と
思っています

被害者や被害者遺族の感情を考えると、
「加害者を死刑にして敵を討つ」死刑制度があってもいいのではないか、と
思ったこともあります。
しかし本当に、被害者やその家族は、
加害者が死刑になれば、ラクになるのでしょうか?

国家というのは、
国民を殺すのではなく、守るために存在するのだと思います。
加害者、被害者どちらに対してもです。
今の日本では、加害者の人権は尊重され、
法律で守られています

しかし被害者や被害者家族に対してはどうでしょう?
今の日本には、彼らを保護するための法律はないに等しいのです
私は、そこに問題があると思います

被害者は、犯罪に巻き込まれてから、
国家に守られることなく、
放り出されっぱなしの状態です
それを、「加害者に死刑を」という問題に、
すり替えてはならないと思うのです。
加害者が死刑になれば、被害者やその遺族の気持ちがラクになる、と
すり替えてはならないと思います

では、どうすればいいのか?

国家は、被害者やその家族への手厚い補償を約束すべきですし、
精神的なサポートの体制作りをすべきだと思います。

大切なことは、
加害者に極刑を与えることではなく、
被害者やその家族を、いかに救済するか、
ということだと思うのです
そしてそれと平行して、加害者を更正させるプログラムを
作るべきだと思います。
(今の日本の更正プログラムは、お粗末だと思います)
そして加害者が社会復帰したあとも、
再犯を防ぐためのプログラムを自治体で行うべきだと思います。

そして、私たちは決して忘れてはならないことがあります

死刑制度が存在するということは、
死刑を執行する人がいるということです。

フランス革命の時に、
ルイ16世のギロチンを執行したのは、
シャルル・アンリ・サンソンであることは有名ですが、
当時のフランスでは、処刑人は世襲制で、
サンソン家は14世紀から代々この仕事に従事してきました。
1981年に、ギロチンによる処刑が廃止されるまで、
サンソン家では、鬱病になって自殺した人、
精神疾患を発症した人は、何人もいたといいます
死刑制度の裏には、
死刑執行人の悲劇が存在するわけです。

それは、現代の日本でも言えることです。
死刑が執行された翌日、刑務所内では異様な空気に包まれて、
「次は自分の番じゃないか」と、
刑務官の間に緊張が走るといいます
国家の命令で、「殺人という仕事」をやらされているのですから、
刑務官たちも、ある意味被害者です。
死刑を執行した刑務官は、トラウマを背負ってしまうそうです
そういう刑務官の存在の上に、
日本の死刑制度が存続していることを、
きちんと認識しするべきだと思います

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