私が臓器移植に興味を持ったのは大学1年のとき。
空手をやってる友人が網膜剥離で、
「角膜のドナー登録してよ」と、
みんなに言ってるのを聞いてからだ。
それから4年がたち。
看護学校受験のために予備校に通ってたときのこと。
論文対策の授業で、「脳死」について討論した。
長年、「心臓死」を人の死と考えてきた日本人にとって
「脳死」というのは受け入れがたく理解しがたいものだと思う。
これは医療が発達し、人工呼吸器が生まれたことにより、
新たにできた「死」の概念だからだ。
友人の父親(外科医)がこんなことを言っていた。
「臓器移植は医療の敗北だ」
私はこの場で、脳死・臓器移植に賛成か反対かを論じたいのではない。
ドナーカードには、移植を希望する人もしない人も、
自分の意思表示ができるようになっている。
ドナーカードの普及・臓器移植法成立をきっかけに、
一人一人が「死生観」について考え、家族で話し合うことが
できれば、と思う。
参考にこちらをどうぞ
日本臓器移植ネットワーク
「私は臓器を提供しない」
『空白の軌跡 心臓移植に賭けた男たち』
脳死・臓器移植を肯定的に捉えたノンフィクション
ちなみに私は、
臓器移植を希望しています。
1998年の最初の著名から、何度も悩みました。
医療従事者としては、脳死・臓器移植は受け入れられないものがあります。
しかし、それだけでは割り切れないものがあり・・・
最終的には、感情の部分で「希望する」ことにしました。
私らしい死に方を考えたとき、「脳死→移植」という答えに到達したのです。
私の家族は、移植に反対しているので著名はしてくれません。
いつか結婚するようなことがあれば、パートナーと話し合い、著名してもらおうと思っています。