4月のいわき市訪問から2か月がたち、その後のいわき市の様子が知りたくて、6月に日帰りで行ってきました
4月に避難所でたまたま知り合いになった看護師と連絡先を交換し、何回かメールのやりとりをしていました
その方に会って、6月時点での避難所の様子を聞いてきたのです(*・ω・)ノ
被災した市立病院の看護師11名が、何かできることをしたいと、自治体に申し出て、J地区、T地区、N地区の避難所を担当し、シフトを組んで、訪問しているとのこと(*’-‘*)
6月に入ると避難所も大分落ち着いてきており、仮設住宅に入る人も増えてきているので、避難所が減って、縮小し始めていました
私が4月に訪問した避難所のリーダーは、他の人に替わったようです。
通常、避難所リーダーの選出方法は、初期の頃は避難民の中から選び、自治体が機能するようになると、自治体の管轄になるそうです
リーダーが男性でも、その奥さんが炊事班のリーダーであることが多く、区長、会長、先生がリーダーをよく務めるとのこと( ̄∠  ̄ )ノ
男性がリーダーをやるときは、奥さんはあまり出しゃばらないほうが、円満に物事が進み、リーダー選出は割と民主的に決まるそうです
そして、、、
避難所生活が2か月にもなると、多くの人々はストレスが強まり、さまざまな問題が表面化しています
ちなみに、子どもの虐待やDVに関しては、避難所ができてすぐの頃、子ども2人とその母親が身を寄せている避難所に、DV夫が探しにきたことがあるそうですが、この件は、自治体でこの家族(子どもと母親)をサポートしたため、大きな問題にはならなかったそうです
その後は、そのような問題は、あるかもしれませんが、表にはあがってきていないとのこと(☆゚∀゚)
その話を聞いて、少し安心しました
避難所の様子は、その規模や構成員によって様々で、T地区のある避難所では、自宅に戻れることになったにも関わらず、「戻りたくない」と泣き出す子どもたちもいたそうです。
理由は、大きな子どもたちが、下の子たちの面倒をよく見ており、連帯感が生まれていたそうです
母親たちも、助かっていたとのこと。
逆に精神的に参っていたのは、父親たちのほうでした
他の地区の避難所では、生活保護受給者が、家があるにも関わらず、敢えて避難所生活をして、お金を要求している光景がよく見られたそうです( ̄‥ ̄)=3 フン
理由は、生保の受給が遅れているからではないか、と言っていました。
また、原発労働者がいる避難所では、原発労働者がイライラしているため、避難所の雰囲気が良くなかったと言います
彼らのイライラの原因は、お金も家もあるのに、自宅が原発から20キロ圏内であるため、避難を余儀なくされているからとのこと(T_T)
いわき市内の病院は機能を取り戻しつつあり、健診や予防接種も再開し、通常業務も行えていますv( ̄∇ ̄)v
最近は県外から「こころのケア」と称して、精神科医が被災者の話を傾聴しているそうですが、ただ傾聴するだけでは、心を開くのは難しく、状況を理解している人かつ、現地の言葉で話せる人が、傾聴し、必要時には具体的なアドバイスをすることが大切になってきます
地震と津波の被害であれば、もう1度やり直すことができますが、放射能に汚染された福島の、漁業、農業、酪農に従事する方々の思いは、もし国が補償したとしても、満足できる問題ではありません(*・ε・*)ムー
市内のカフェで、たっぷり話をした後、たまたま偶然、その看護師の同僚の助産師さんから電話があり、その助産師さんがその日勤務している避難所に行ってみることにしました
学校の体育館が避難所です
この避難所にいる方々は、原発から20キロ圏内の某市から避難してきており、1度、飯舘に避難してからここに来たそうです(。・ω・)ノ゙
50人くらいの小さな避難所でした。
ここに避難している方々は年配の方々ばかりで、雰囲気が良く、よそから来た私にも、みなさん普通に声をかけてくれました
体育館の中に入ると、年配の助産師さんが、私たちを迎え入れてくれました
たわいのない世間話をしたあと、その方は、地震直後の様子を話してくださいました。
地震・津波の直後は、みんなと一緒に避難所に身を寄せたそうです。
しかし翌日に原発が爆発し、妊婦さんと子どもはすぐに、別の避難所に移ったそうです。
その後、その助産師さんと避難民の方々は、飯舘の放射線量が高くなっているとは思わず、飯舘に避難し、その後いわきに南下してきたとのこと
3月の福島は北風のため、南には逃げない方がいいと、誰もが思っていたそうです
この助産師さんは、地震当日から2日目までしか妊婦さんと関わっていないそうですが、その時の様子を聞かせてくれました(*’-‘*)
赤ちゃんを抱えたお母さんたちは、やはりそのショックから、母乳が出なくなり、ほ乳瓶は流されてしまったので、地震当日は、コップで授乳しようと試みたそうです
しかし赤ちゃんは飲もうとしなかったそうです。
2日目にはほ乳瓶が届けられたそうですが(すごい)、母乳だけで育てられた赤ちゃんは、ほ乳瓶からも、飲もうとしなかったとのこと。
その後、妊婦さんと赤ちゃんは、みんな別の避難所に移ってしまったので、授乳に関してどうなったのか分からないそうですが、その助産師さん曰く、「こういう時のために、授乳は直接母乳にこだわらず、ほ乳瓶であげることも必要かも」と・・・(。・ω・)ノ゙
うーむ・・・
この助産師さんは、年配の方で、臨床経験年数はたくさんあると思います
しかし、ストレスから、お母さんの授乳が止まってしまうことはあっても、完全に止まってしまうことはないし、それは関わり次第で変化していきます
そして、赤ちゃんは生まれて数日であっても、コップから母乳を飲むことは可能です
コップを赤ちゃんの脣に、トントンと当てると口をあけてくれるので、少しづつ、様子を見ながらあげていきます
だから、非常事態を見越して、赤ちゃんにほ乳瓶で母乳をあげる練習をしたほうが良い、というのは、必要のないことだと思いました
とはいえ、地震当日~2日目の妊婦さんや赤ちゃんの様子を聞かせていただき、本当に感謝です(* ̄∇ ̄*)エヘヘ
ありがとうございます。
mana