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1986年の回想
小学校6年生になったばかりの私。
子ども心に、「外国で大変なことが起こった」と、漠然とした不安を感じたのを今でも覚えています。そしてその不安は今までずっと消えることはありませんでした。そんな思いが私をベラルーシに向かわせたんだと思います。
1986年4月26日午前1時23分、旧ソ連・ウクライナ共和国にある、チェルノブイリ原発4号炉が爆発を起こし、大量の放射能を大気中に撒き散らしました。そしてその放射能は雨風とともにヨーロッパを汚染し、日本やアメリカにも届いたのです。
原発事故や放射能汚染の真実をひたすら隠し続けたソ連政府。そのせいで大量の死者・被爆者をだし、事故当日4号炉の制御室にいた職員17名は事故を起こした当事者として世界中から避難されました。
ウクライナに隣接するベラルーシ共和国は事故当日、風下にあったため大量の放射能を浴び、国土の1/4が汚染されました。これは、ロシア・ウクライナ以上の汚染です。
そして、私
病院を6か月で退職して「もう二度と看護師にならない」と決めた私が、まさかこのベラルーシ行きがきっかけとなって、その後も海外で医療活動を続けることになるなんて・・・
これが大きな幕開けの第一歩となったわけです。
ベラルーシの大雪原。トイレを探してさまよっていた私。