チャルカの思想 5

鴨川和棉農園の田畑さんは、和棉を育てながら、
ガンジーが伝えようとしたことを、日本で多くの人に伝える活動もしています

ガンジーと言えば、日本では「独立の父」というイメージが強いですが、
私は、山際素男さんの『破天』を読んでいたので、
ガンジーの評価は低かったんです
「仏教徒の視点から見るガンジーって、いまいちかも・・・」
みたいな。

それ以降も、ガンジーの思想について触れる機会が時々あったのですが、
観念的で、抽象的で、難しくていまいちよく分からない・・・(T_T)

そして今から7~8年くらい前に、
「カディの布」を使う機会がありました(*’-‘*)
それがきっかけで、我が家にはカディの布がゴロゴロしています

カディはガンジーの布であり、植民地支配に対する抵抗であると、
話だけは聞いたことがあったのですが、

「何で、ガンジーと布・・・Σ( ̄ロ ̄|||)?」と、

意味がよく分かりませんでした
でも、布自体は風合いが良く可愛いので、使っていたのです

例えば、この写真。
オーガニックのカディの布で、私はキッチンで使っています

kadi

先にも書いたように、「独立の父」というイメージがとても強いガンジー。
でも本当は、独立は望んでいませんでした。
「政治が変わったって、国のトップが変わったって、市民の生活は変わらない」
それが分かっていたからです

産業革命で始まった近代化=機械化が諸悪の根源で、
近代化を否定し、1人1人が自立することを説いてまわりました。
その中心に据え、象徴にもなったのが、
チャルカ=糸車です(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

1733年にイギリスから始まった産業革命。
近代化は機械化でもあります。

「機械=機織り、からくり」

という意味だけあって、
近代化は繊維産業から始まりました
大きな機械で安い素材を大量生産することが可能になりました。
イギリスで発明された機械が世界を変えていったのです。

しかしガンジーはこう言いました。

機械は悪であって、全ての人に豊かさをもたらすわけではない。
一部の人が豊かになるだけ。
大型機械を持てるのは、一部の人たちだけだからです。
近代化によって、その一部の人たちに支配される生活がうまれてしまった。
私たちは等身大の機械を持ち、
自分たちの手足で作れば生きていける。
機械に頼っていたら貧困はなくならない。

ガンジーは、全ての機械を否定したわけではありません。
自分たちの手足に収まる機械、例えば糸車のような、
そういうものは否定しませんでした

政治を変えたって、私たち市民の生活はかわりません。
政権が自民党から民主党に変わって、私たちの生活に変化はあったでしょうか?
明治時代は?大正時代は?戦前は?戦中は?戦後は?
大事なのは、政治を変えることではなく、
私たち1人1人ができることをして、私たちが変わることではないでしょうか?
支配から真に解放されるには、
「衣食住」を自分たちで作り、自立することだと思います。
貧困をなくすには、コミュニティーをみんなで作り助け合いながら
自給自足の生活をすることなんだと思います

とは言っても、ここまで来た今の生活をなかったことにし、
江戸時代にタイムスリップすることは不可能でしょう( ̄∠  ̄ )ノ
それなら、日本の農家を支えるとか、国産の農作物を買うようにするとか、
できる範囲で、できることをすればいいんだと思います

綿が世界を変えてきたし、これからも世界を変える

と言っても過言ではないと思います。
というのも、産業革命の発祥国であるイギリスでは、
綿の栽培ができません
イギリスで育つのは羊毛です。
しかし羊毛は世界製品になりません。
人口が密集しているインドや中国では羊毛は売れないし、
綿でないと、売れないのです

折角機械化が始まったのに、イギリスでは栽培できない綿。
じゃあ、どうすればいいか?
アメリカ南部で、一気に綿栽培が始まりました
プランテーションです。
そのために、アフリカから多くの人たちが奴隷として売られてきました
この、綿栽培と奴隷貿易を取り仕切っていたのが、
イギリス王室直属の会社でした。

三角貿易もしかり

イギリス→綿→インド
インド→アヘン→中国
中国→茶→イギリス

ここにも綿が絡んできます
この当時、世界で素晴らしい織物は、インド・バングラディッシュで
作られていました
(インドとバングラが同じ国だった頃)
しかしイギリスは、ダッカの織物職人の手を落とし、目を潰し・・・
「イギリスから綿製品を輸入しているから、インドの貧しい人たちが減らない」
と言い続けていたガンジーは、
60年前すでに、今の世界が見えていたのかもしれません。

つづく。

ありがとうございます。
mana

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