8月18日に、「心に刻む①」の中で、
イラクにより、クルド人自治区で行われた、
ハラブシャ虐殺について、少し触れました。
先日行われた、
ジャーナリスト・玉本英子さんの、
イラク報告会。
玉本さんは、クルド人自治区での取材を、
長年続けられている方です。
クルド人自治区の公用語は、当然クルド語です。
しかし自治区内には、アラビア語の学校が4校あり、
そのうちの1つである、アルビルという街の
ジャワヘリ小学校で取材を行ってきました
ジャワヘリ小学校の5月末の生徒数は610人でした。
5月末からは夏休みです。
しかし8月には、生徒数が1000人に増えていたのです
なぜでしょう?
夏休みの間に、イラクから逃れてきた家族が
多くいたことを示しています。
イラク北部のモスルや、バクダッドから来た子どもが
多いそうです。
クルド人自治区に移住するには、
保証人が必要です。
なので、イラクの街から自治区に移住してくる人たちとは、
①クルド人
②夫婦のどちらかがクルド人
③親しいクルド人の友人がいる
などの、ツテ・コネがある人たちが主です。
自治区は、人の出入りのコントロールが厳しいので、
イラクの他の都市と比べて、
それほど治安は悪くないとのこと。
イラク北部のモスルと、自治区のアルビルは、
車で1時間くらいしか離れていないのに、
治安状態は、雲泥の差だそうです
今夏、玉本さんはアルビルで
「原爆展」を開催しました。
クルド人にとって、88年に起こった、ハラブシャ大虐殺は
忘れ難い出来事です。
イラクの人たちは、東京や大阪は知らなくても、
広島・長崎のことは知っています。
イラクのテレビ局「イラキーヤ」で、告知を全国放送したおかげか、
原爆展は大盛況で、イラクでの原爆の関心の高さを
改めて感じました
ハラブシャの、被毒者に対する偏見・差別はありますし、
今でも障害の子どもが生まれることがあるそうです。
しかしハラブシャには薬がないため、
隣国のイランで治療を行う人もいます
あ、ハラブシャで何故、虐殺が行われたかについてですが、
ハラブシャはクルド人の街で、イラクの他の街と異なり、
自由で自立した街でした。
つまり、イスラム教の街ではありますが、
アラブ的な封建的なところがないわけです。
しかし、そのことを快く思わないサダム・フセインが、
ハラブシャを、「イランの協力者」とみなし、
マスタードガスやサリンで虐殺を行ったのです
サマワから自衛隊は撤退しましたが、
航空自衛隊が輸送業務を行っています。
バクダッドーアルビル間は危険なので行わないと、
日本政府は言っていますが、
実際は、両間の輸送を行っているわけです。
徐々に、日本人にとって
イラクは意識から遠のいてきてしまっていますが、
まだまだ無関心であっては、ならないと思います。
140番台を行ったりきたり
しています。
20番台を行ったりきたり
しています。