高汚染地での訪問看護 ③

次に訪問した、シャルチンスカヤ村。

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診療所に入ろうとすると、中からフェイシェルと、患者さんがでてきました。

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よくよく話を聞くと、この患者さんはフェイシェルのお母さん。

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娘が医療従事者だと何かと安心で、ときどき診療所に来るそうです

診療所の訪問に同行してくれたナージャ先生は、フェイシェルのアンナさんを信頼しているようで、みんなでお茶をしながら、いろんな話をしました。

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アンナさんがここで25年働いている間、救急の分娩(正常分娩で自宅出産)が2回あり、そんなシャルチンスカヤ村は、今、子どもが90人、妊婦さんが4人います。

どこの村もそうですが、ここも年金生活者が多く、定期的に家庭訪問をしています。

アンナさんの凄いところは、家庭訪問をしてもあまり自宅におらず、高血圧の既往のある患者さんをつかまえるために、曜日を決めて、村の雑貨やさんで血圧測定を行っています。

この話を初めて聞いたのは3年前
今でもアンナさんは、時々雑貨屋さんで血圧測定を行っていると言います。

アンナさんは、ナージャ先生と事故当時のことを振り返り、「事故後、異常な暑さが続きました」と。
ナージャ先生が、「事故後、黄色い雨が降ったのを見た」と話してくれたのは、この時です。
チェルノブイリの雨

アンナさんは事故後、移住をしようと思っていました。
しかし、住宅が支給されるのを待つ間に、この村に戻ってきてしまいました。
この村から首都のミンスクなどに移住した高齢者の多くは、すでに亡くなったそうです。
この村に残った高齢者の方が長生きしていると、アンナさんは言います。

他の場所で亡くなった方は、葬儀と埋葬は生まれ故郷で・・・と希望して、シャルチンスカヤ村に戻って来ました。

こういう話は、ベラルーシのあちこででよく耳にします。

3/11に東北で大地震と原発事故が起き、避難を呼びかけていますが、
「自分の故郷を離れたくない」「住み慣れた場所で暮らしたい」
と思うのは当然のことだと思います。

福島原発から30キロ圏内にも、さまざまな理由で避難しない人がいますし、一旦避難しても、戻ってくる人たちもいます

東北の、1000人規模の大きな避難所では、避難所の住居環境が劣悪なため、感染症が蔓延するリスクが高くなっています
そのため、一旦別の場所に避難してもらって、トイレを整備したり、清潔な居住空間を作ってから、戻ってきてもらう。
そんなことを始めようとしていますが、様々な理由で避難所を移ろうとしない人たちが、少なくありません

人が別の場所に移動するということは、たやすいことではないと、改めて思うのであります

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ありがとうございます。
mana

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