私が所属する、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)では、数年前から、ゴメリ州ベトカ地区にある、ベトカ地区病院の院長・ナージャ先生と親交があり、地区病院に医療機器を提供しています
ナージャ先生は産婦人科医でありながら、チェルノブイリ原発事故から数年後、甲状腺疾患の子どもたちが増えると、独学で甲状腺の検査に使用するエコーの操作方法を勉強し、自ら子どもたちの検査を行っていました
しかし、ナージャ先生にとって、専門外の検査や治療をすることに抵抗はありませんでした。
事故当時、ゴメリ医科大学の学生たちは、医師が足りない村々に派遣され、医師の手伝いを行っていました。
ナージャ先生も例外でなく、当時4年生だった先生は、生まれ故郷であるベトカに戻り、内科の仕事に従事していたそうです( ̄∠  ̄ )ノ
そんなナージャ先生は、院長でありながらフットワークが軽く、ベトカ地区を組織的に統括しており、2万人弱いる住民の様子をよく把握していて、患者にはいつも細やかな声かけを行っています(・∀・)つ
産婦人科医という枠にとらわれず、常に問題意識を持ち、新しい情報を取り入れ、聡明で博識な先生は、放射能の影響について、いつも率直な意見を述べており、大変なことも笑いに返るユーモアも持ち合わせています
ナージャ先生は、3・11の地震の時にすぐに日本に連絡をくれ、原発事故についても、関心を寄せてくれています.。゚+.(・∀・)゚+.゚
なので私は今回、チェルノブイリ原発事故に関する様々な情報を、ナージャ先生に質問してみました
まず、居住地の区分についてですが、チェルノブイリ事故後、ベラルーシでは居住地が線量によって3つに区分されました。
1-5キュリーは、要観察
5-15キュリーは、希望があれば移住可能
15-40キュリーは、強制移住
とされています。
強制移住に関して、どうしてこんなに幅をもたせているかというと、40キュリー以上は強制移住地のため人が住むことが許されていないのですが、15-40キュリーまでは、「政府の指示がでたら、順次移住」という位置づけです(*・ω・)ノ
なので、指示が出ず、順番がこなければ、強制移住にはならない、ということなのです( -д-)ノ
そして、どの地域に住んでいるかで、ホールボディカウンターの検査を受ける基準が異なります(。・ω・)ノ゙
1-5キュリーの土地に住んでいる人は希望時
5-15キュリーの土地に住んでいる人は2年に1回
15-40キュリーの土地に住んでいる人は1年に1回
そして内部被曝が1ミリSv以上であれば、半年後にまた検査を行います
今年ホールボディカウンターを行った人の中で、1ミリSv以上だったのは44名。
毎年約50名くらいの人が、1ミリSv以上になるそうです。
しかし、生活習慣を改めることで、改善します(・∀・)つ
1ミリSv以上になる人の特徴は、
森で仕事をする人、道路工事をする人、
15キュリー以上の土地に住んでいる人
が多いとのこと
時には、10代の若者が含まれることもあるそうです
ベラルーシが汚染地の住民にホールボディカウンターを行うようになったのは、89-90年になってからでした。
91年に、ソ連が解体し、ベラルーシ共和国が独立したので、それ以降は住民登録に基づき、組織的に行われるようになったそうです(*゚∀゚)っ
つづく
ありがとうございます。
mana