支援のむずかしさ

2004年に滞在した、ブルキナファソでのこと。

私が数週間お手伝いをしていた、
ヤラガド病院

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病院の入り口には守衛さんがいて、
セキュリティーチェックがあります

中に入ると、意外に広いです

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ここはER(救急救命室)

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ここは、歯科&口腔外科の病棟・外来です。
このような建物が敷地内にいくつも並んでいます

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私がお世話になった、産婦人科の助産師さんたち
ピンクのユニフォームを着ているのが助産師さん
グリーンのユニフォームがドクターです

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↑↑壊れている吸引器。

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↑↑壊れている器械類。

初日の見学のとき、
まず私が通されたのは陣痛室兼分娩室
カーテンも仕切りもなく、
ただのベッドの上に寝かされて、
時には点滴をしながら、血圧を測りながら、
分娩を待っている女性たちが5-6人いました

そして私を案内してくれた看護師さんが、
「カメラを持ってるんだったら撮って」と。
上記の壊れているモノを撮らされました

「これらは、JICAから以前もらったものです。
しかし壊れてしまったのです。
新しいものが欲しいので、写真を見せてそう伝えて欲しい。」と

その日の午後、
たまたまJICAのオフィスでヤラガド病院の話を聞く機会があり、
「あの病院は評判が悪い」とのこと。
ブルキナファソの医大は、首都のワガドゥグに1つしかありません。
ドクターはみんな、ヤラガド病院でインターンを行います

その後、要領のいいドクターたちは私立の病院に引き抜かれるので、
ヤラガド病院には能力の低いドクターしか残っていないそうです
しかも公務員は安月給なので、モチベーションも低下し・・・の悪循環
モノの扱い方も悪く、自分たちでメンテナンスをしようとしないので、
すぐ壊れてしまう。
なのでJICAも、ヤラガド病院には、
物資の提供をしなくなったそうです

「アフリカの人たちは、支援慣れしている」
というのをよく聞きます
「~が欲しい」言えば何でも手に入るので、
自分たちで何かを創造していこうという、やる気が見られないとも。

でもそれは、彼らだけの責任ではないと思うのです
私たちの支援のあり方、協力体制にも問題があると言えるのではないでしょうか。

ただモノを提供するのではなく、
また、一方的な支援でもなく、
「お互いにない部分を補い、お互いが向上できるような協力」が、
必要なんだと思います

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