チェチェルスク地区病院で。

ちょっと進化した感じのオーストリア♪
現場との温度差を感じる日々
チェルノブイリ一歩手前

ベラルーシ共和国には6つの州があり、
南のゴメリ州は、チェルノブイリ原発事故の影響が大きかった場所です
つまり、ホットスポット的に、放射能の高汚染地がある、ということ

私たちJCFは、何年も前から、
ゴメリ州のチェチェルスク地区にある、チェチェルスク地区病院に、
医療器機を導入したり、健康診断を行ったり、技術指導を行ったり・・・
様々な関わりを持ってきました

しかし今回訪問したときは、
事前にアポを取っていたにも関わらず、
院長も副院長も不在・・・
代わりに出てきたのは看護師長でした

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師長さんの名前はオリガさん。
JCFの支援のことは聞いたことがあるけど、
詳しいことは知らないといいます

今回の訪問では、
提供した機材の使い勝手の確認や、フォローをするつもりでしたが、
院長・副院長が不在とのことでそれができず・・・
オリガさんにチェチェルスクに関するインタビューをすることにしました

オリガさんはロシア人で20年前にここに移住
夫と、19歳の娘と暮らしています。

20年前と言えば、事故からたった3年後・・・
不安はなかったのかなあ・・・

オリガさん曰く、
「事故のことを考えて、移住しようかと思いましたが、結局はここに留まりました。
娘を出産することについて、不安はありませんでした
現在、家族や友人と、事故のことについて話すことはありません。」と。

しかし、食べ物については、
以前から危険とされている、キノコやベリーは食べないとのこと
理由は放射能の濃度が高いからです

事故直後、当時のチェチェルスクにはスーパーがなく、
自給自足が基本でした
そのため、自分の庭で作った野菜を食べていたので、
放射能の不安がありました
しかし今は、ゴメリ州以外の農作物がスーパーで買えるようになり、
安心して食べることができるようになったそうです

しかし、自給自足が基本であるこの地域にいながら、
スーパーで食材を調達しているオリガさん家族は、
アパート暮らしで家庭菜園がないからだと思われます
つまり、チェチェルスクでは珍しい人たちです。

事故から20年以上たっても、
ここの放射能濃度が高いことには変わりません。
最近はホットスポット(高汚染地)に関する情報はありませんが、
年に1~2回は必ず健康診断があります
しかしここ最近は、高汚染患者のケースはないようです

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2007年8月15日 高汚染地の病院で
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