ちょっと進化した感じのオーストリア♪
現場との温度差を感じる日々
今回私たちは、
ウクライナにあるチェルノブイリ原発に行く予定だったので、
その話を、少し
チェルノブイリ原発は、4号炉が1986年に事故を起こしたにも関わらず、
1~3号炉は、2000年まで稼動していました
そして現在、許可証を申請し、取得すれば、誰でも中を見学することができます
しかしベラルーシ出発前、
「ウクライナでは、強毒性の新型インフルエンザが蔓延し、70名が死亡。
そのため国境が封鎖されました。原発にも人がいないので入れません。」
との情報が
しかし、それは情報操作されたもので、
実際は、近々行われる大統領選挙のため、政治的理由が絡んでいるのだろう、
というのが大方の予想です
「とりあえず、行ってみないとわからないよね~~」ということで、
私たちはビザも持ってるし、交渉次第では入れないこともないだろうと、
とにかく行くことに決めました
事故を起こした、チェルノブイリ原発4号炉には、
鉛やコンクリートで作られた、「石棺」と呼ばれる覆いがかぶさっています。
しかしその中では今でも化学反応が起こっており、
いつ爆発してもおかしくないと。
そのため、更に覆う「石棺」を作る必要があり、
日本はそのために約5500万ドル拠出しました
ですが、第二の石棺の工事は進んでいません
労働者の被曝を最小限にするためにも、なかなか進めることができずにいます。
ということは・・・・
それなりの放射能が漏れてるんじゃないのかなあ???
と、思ってしまいますよね
首都のミンスクから車を走らせること6時間以上。
ようやく、「埋葬の村」がいくつか見えてきました
「埋葬の村」とは、
原発事故後、放射能汚染が強い村々は、住民たちが強制移住させられ、
村人が誰もいなくなった村々は、地図から消されてしまいました
そういう、地図から消された村のことを「埋葬の村」と言います。
ここもそうです。
立ち入り禁止マークと、放射能のマークが、
ゲートについています
しかし、奥の方を見ると、
誰か、人がすんでいるような感じがします
実際、この村に人が住んでいるかどうかは分かりませんが、
埋葬の村にも、住み続けている人たちはいます
最初から移住しなかった人たち。
一旦は移住しても、戻ってきてしまった人たち。
この村の入り口には、こういう看板が立っていました
ここで暮らしている動物たちを大切にしましょう、保護しましょう
というものらしいです。
皮肉にも人間がいなくなってから、
動植物にとって住みやすい環境になったのかもしれません
さて、
「チェルノブイリまであと300キロ」という表示が見えてきました
あああ~~、もうすぐだあ~~
しかし、
そろそろ、ウクライナとの国境かなあ~???と思っても、
なかなかイミグレーションが見えてきません
ベラルーシの放射能汚染地区には、「放射能マーク」の立て看板があるのですが、
それがやたら目につきます。
この看板は、
自然を大切に保護しましょうというもの。
左隅っこには、放射能のマークがっ
もしかして、すでにウクライナに入ってるんじゃないの
みんながそう思いながら車を走らせると、
「STOP」マークのゲートに、人が立っています
車から降りて話を聞くと、やはりここはすでに「ゾーン」に入っていました
つまり、原発から30キロ圏内で、人が住めない場所です。
こうやって今でも、ウクライナ政府(軍人らしき人たち)の監視下に置かれているのです
こわもてのオジサンに威嚇され、
「早く、帰れ帰れ」と、ハエのように追い払われ、
ここで抵抗したら撃たれるだろうと思い、
私たちは大人しく、引き返すことにしました。。。
このゲートから向こうが、チェルノブイリ原発です
あああ。。。残念。。。
ここからじゃあ、煙突さえ見えない・・・
ベラルーシからウクライナに陸路で入るには、いくつかのルートがありますが、
外国人が入国できるゲートは限られています。
その上、外国人がチェルノブイリに入れる道は1つしかありません
しかし、私たちが走った道は、外国人が入国できないルートである上、
(イミグレがないので勝手に入国できるけど、合法ではありませんね)
もちろん、チェルノブイリに通じる道も、外国人は行けない道だったのです
また来夏、トライします
日本は地震が多い国であるにも関わらず、原発を55基作り、
原発はこれからも増え続け、再処理工場もあり、
プルサーマルにも着手しました。
これって、すごく危険なことなんですよ~
静岡にある浜岡原発が一番リスクが高く、
世界中の専門家たちに、「稼動を止めるべきだ」と言われているにも関わらず、
政府や電力会社は、聞く耳を持たないようです
原発事故が起きたらどうなるか?
きちんとチェルノブイリのことを伝え、
「原発なんかなくたって、気持ちよく暮らせるんだよ」
というのを伝えて行きたい。
しかも、石棺のために日本は5500万ドル出しているのだから、
まさに、ヒトゴトではないですよね
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