ベラルーシ共和国 未来を守りたい③

ベラルーシ共和国の首都ミンスクは、
夜になると明かりでキラキラし、
インターネットや携帯も使うことができ、
欲しいものは何でも買え、
情報も得ることができます

しかし、チェルノブイリ原発事故後、
放射能によって汚染され、
立ち退きを余儀なくされた村・・・
誰も住んでいない、
埋葬の村がたくさん存在します

国が退去命令を出しても、
どこにも行かず、生まれ育ったその村に留まる
人たちもいます。

「私のことを忘れないで・・・」

高汚染地に住んでいる人たちの言葉です。
国の利益のため、都市部の豊かさのために、
切り捨てられる、貧しい地方の人たち。

今、現在、
事故を起こした、チェルノブイリ原発4号炉は生きています。
石棺の中で、高熱を発し、化学反応を起こし、
いつ爆発してもおかしくないと言われています

事故後21年たって、
石棺の老朽化が進み、破損し、
放射能漏れも懸念されています

その対策として、
「新石棺」の建設が進んでおり、
日本も5500万円出資。
私たち日本人は、ただお金を出すだけでなく、
今後、チェルノブイリがどうなっていくのか、
関心を寄せ、見守って行かなければならないと思います。

そして、
新しい石棺を建設するだけでなく、
ベラルーシのモギリョフ州では、
原子力発電所を作る動きがあります

ベラルーシは原発を持っていないにも関わらず、
チェルノブイリの事故の被害が一番大きく、
辛酸を味わっています。
なのに、なぜ原発を・・・

健康被害よりも、便利さを。
将来のことよりも、今現在のことを・・・?

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ゴメリ州のサーカス
数少ない娯楽の一つです
ゴメリは、高汚染地域の一つです。

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お父さんやお母さんに、
お菓子や風船、帽子やおもちゃを
買ってもらって、
嬉しそうな子どもたちばかり

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サーカスの最後に、
風船がたくさん落ちてきて、
子どもたちが一斉に
はしゃぎ始めました

原発を作るということは、
この子たちの未来を奪い去ることと
同じだと思うのです。

しかし原発を迎合している人たちを、
一方的に責めて、反対することはできません
彼らには彼らの生活があります。
家族を養うために、原発や関連施設で働くことで
収入を得られる人たちもたくさんいるでしょう
→ところが、柏崎刈羽では、原発ができる前と後では、
失業率が変わらないとも、言われています

原発がなくても暮らしていけるんだよ。
その方が、気持ちいい生活が送れるんだよ。

そうことを、実践して示していくことが大切なんだと思います

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2005年7月23日 チェルノブイリ原発事故
2005年7月23日 高汚染地の健康診断
2005年7月23日 フタを開けてみれば・・・
2005年7月23日 ベラルーシのオートル村にて。
2005年7月23日 チェルノブイリの子どもたち

2007年7月18日 ベラルーシ共和国 未来を守りたい①
2007年8月15日
2007年8月15日 高汚染地の病院で
2007年8月23日 ベラルーシ共和国 未来を守りたい②
2007年8月23日 ベラルーシ共和国 未来を守りたい③

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2009年11月11日 現場との温度差を感じる日々
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2010年2月9日 高汚染地・べトカ地区③
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