現場との温度差を感じる日々

今回のベラルーシ滞在で最初のミッションは、
ベラルーシ医科大学で行われる国際シンポジウムに出席する、というもの

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ベラルーシ医科大学と長崎大学が共同で、
チェルノブイリ原発事故と甲状腺癌やその他の癌、
そして精神疾患との因果関係を追究するというものでした

ベラルーシだけでなく、ロシアやウクライナの研究者も参加。
そして日本からは京都大学の先生も参加

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私たちはワクワクしながら、
「どんな話が聞けるのかなあ~~」と、
楽しみにしていたのですが・・・
う~~ん・・・

いやあ~。。。
研究は研究として大事です。
今後も、必要だと思います
でも、現場の声が届いていないんですよね・・・

首都のミンスクでは、事故はすでに過去のことで、化石のようなものです。
前代未聞の原発事故→被爆だったにも関わらず、
現在、ベラルーシは原発を作る方向で動いています

しかし、いまだ放射能が残る高汚染地では、
ドクターたちが、「癌が増えている」と言っています。
データーにはなっていなくても、
肌感覚でわかる、不安感や危機感というのがあるんですよね

高汚染地のゴメリ州の村では、
汚染がひどくて人が住めなくなった場所がたくさんあり、
かろうじて立ち退きを逃れ、住み続けてる人たちも、
「私たちのことを忘れないで」と言っています
そして、癌が増えているというドクターたちの不安

そんな声が聞こえてない(聞こえないフリ)研究者たちは、
「事故と癌の関連性は立証できない」の一点張り。

えっ
それって、今までと同じじゃない?
じゃあ、今回のシンポジウムの意義は
そうやって、苦しんでる人たちを切り捨てるの・・・

私は、
「声を聞いてほしい。でも届かない・・・」
そう思ってる人たちの所に、常に行き続けたい
「大丈夫。あなたのこと、忘れてないよ。」と伝え続けたい。

今回もそれを伝えに、明日から村に入ります

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